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元パチンコ店員のおもひで

パチンコ店で働く、就職を目指す人の参考にしてほしいブログです

東日本大震災に福島県で遭遇し、新潟県へ避難したときの話

その他

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(※この記事は2016年12月5日に更新しました)

みなさんこんにちは。
当ブログ運営者のYoshikiです。

3月にも入ったことですし、少し早いですが「あの日」について書いておきます。

◆目次◆

東日本大震災から5年

忘れもしない、3月11日は「東日本大震災」があった日ですね。
5年も経つと、ついつい意識することが無くなってくるなと思う、今日このごろ。

震災のあった2011年3月11日当時、僕は福島県の太平洋側にある街で働いていました。そこは震度6弱の地震に襲われ、津波被害も甚大だった地域です。

今回は、その時の話をしようと思います。

東日本大震災に遭遇した話

地震は、本当に突然やってきました。
僕はその時、勤めていたパチンコ店の中で普段どおりに働いていました。

覚えているのは、景品を交換するカウンターにいた女性スタッフがインカムで叫んだ「地震!」という言葉と、その後に来たとてつもなく大きく、長い揺れ。

お客さんも店員もみんなが出口へ向かって猛ダッシュしていましたが、僕はパニックになって逆走してきてしまった女性客を介抱しながら、とにかく長い揺れが収まるまでしゃがんでじっとしていました。

お店の被害は…はっきり言って散々でした。天井は抜けかけるし、設備には亀裂ができているし、お客さんの玉やメダルは崩れ落ちているし…。

とにかく、その日はお店を閉め、僕たち店員は店の片付けをしたり、家族がいる店員は安否を確かめに行ったりしていました。

そして地震の約1時間後、津波が沿岸部を襲いました。
店舗は沿岸部から結構な距離にあったので無事でしたが、震災後に入社してきた人の中には、津波で家や車や家族を流された人もいました。

電話はもちろんどこにも繋がらず…。
僕には同じ市内の短大に通う妹がいたのですが、連絡はまったく取れませんでした。

もちろん他の人たちも、家族と連絡がとれる人はおらず。
しかも、震災の影響で街の中は大パニックになっていました。

道路はいたるところで警察が交通整理をしており、スーパーやコンビニに食料はゼロ。
水道とガスも完全に死んでしまいましたが、奇跡的に電気は生きていました。

なので、真っ暗な状態で夜を明かすということにはなりませんでした。
人間というのは不思議なもので、未曾有の大災害だったというのに、

僕は心の中で

「…まあ、一週間ぐらいで元に戻るっしょ!」

という、軽すぎる考えでいました。
無意識に、恐怖から逃れようとしていたのかもしれませんね。

ちなみに、その2〜3日後に父親と電話で話した時に

「一週間で戻るわけねえだろ!」

と怒られたのを覚えています(笑)

そして翌日の3月12日、やっと妹と連絡がとれました。
妹は、短大にある柔道場へ避難していたので無事ということでした。

実際に会いに行きましたが、妹が住んでいた寮の壁にも亀裂が入っていました。
しかも、崩れる危険性もあるということでした…まさに九死に一生。

だけど沈んでいてもしょうがないし、こういう時は集団でいた方が何かといいという話になり、店のスタッフ何人かで集まって過ごしていました。

やはりこういう時は、無意識に楽しいことをしようとするでしょうか。
水もガスも止まっている状態なのに、緑茶を使ってお米を炊いたりして、何とか楽しくやっていました。

福島第一原発の爆発

そんな中、テレビを観ていると、ついにアレが起こりました。

「福島第一原発1号機での爆発」

でした。 それを観た瞬間、とあるスタッフが言いました。

「これ、さすがに避難しないと…マズイんじゃない?」

という言葉に 周囲も同意し、店にいる店長へ直談判をしに行くことになりました。

店に着くと、店長・副店長も原発事故の報道をテレビで観ており、本部に避難の依頼を出しているところでした。

しかし、当時はまだ震災から2日しか経っておらず、しかも新潟県に本社があったので、中々こちらの必死さは伝わりません。交渉は難航しているようでした。

結局、避難が決定したのは夜9時ごろ。
そこから僕らを避難させるためのバスが来るのが夜中の3時という強行スケジュールでの避難となりました。

新潟市へ避難

僕らはそのまま夜中の3時に新潟から駆けつけたバスに乗りました。
必要最低限の荷物だけを持って。

そして避難先の新潟市に到着したのが、朝の7時ごろでした。
眠気はありませんでした。もうそれどころでは無かったからでしょう。

新潟県内に実家がある人が多かった(勤めていたパチンコ店は、新潟に本社があるチェーン店)ので、その人たちはそれぞれの実家で待機となりました。

僕は福島県に実家があるし、他にも新潟県外出身の人がいましたが、その人たちは新潟市内にあるシティホテルに滞在することになりました。

さすがに会社へ行くことはできず、とりあえずは「有給休暇」として避難生活を送っていました。ですが、状況が状況なだけあり、外出は厳しく制限されていました。

買い物や食事など、日常生活で行うであろう外出はOKでしたが、パチンコを打ちに行くなどの「それって今必要なこと?」ということは自粛(…という名の禁止)となっていました。

まあ、隠れて打ちに行った人いたみたいだけど…(笑)

ちなみにそのシティホテルというのは、新潟市の「万代シティ」というショッピングが楽しめる場所に建てられていました。

そこで、万代シテイに来ている人々が「震災復興の募金活動」をしているのを見ました。有名どころだと、新潟県出身の「ヒルクライム」という歌手も万代シテイで募金活動をしていたのを覚えています。

そんな避難生活中に僕は何をしていたかと言うと、あまりにもヒマだったので毎晩飲みに行ったり、ONE PIECEを大人買いしてホテルの部屋でずーっと読んでいたり、こっそり本部のあるビルへ遊びに行ったりしていました…(笑)

当時はmixiでブログを書いていたのですが、パソコンを持ってきていなかった僕は、ホテルにある15分100円の共用パソコンにて、今のように自分の「思い」をガリガリと書いていました。

…パソコンを持ってこないとか、ブロガー失格だな!

もちろんそんな避難生活をずーっとしているわけにも行かず、震災から3週間ほどして、僕らは新潟県内にあるチェーン店舗に各自配属されていきました。

新潟県内は完全なる車社会なので、僕らは働いていた街に置いてきた車と、自分の荷物を取りに一度街へ戻ることになりました。

一度、被災地へ戻る

2011年3月末の震災後の街は、まさにゴーストタウンでした。
原発事故があったので、みんな避難したのでしょう。

外は人っ子一人通っていない状態でした。
僕らも、全身を放射線を除けるためのレインコートを羽織った状態で街に入りました。

放射線というものについてあまり分からず、レインコートを羽織ったのも

「とりあえずそういう格好で行くように」

とお達しがあったからでした。
しかし、新潟県の原発で働く親を持つ同僚は、かなりの軽装で街の中へ入りました。

彼は「お前らなんでそんな格好してんの?www」というノリで、肌も露出させまくり。当時の僕らは「おいおい大丈夫かよ…?」と思っていましたが、今思えば彼の方が正しかったのかもしれません。

そこから、自分の車に乗って新潟へ戻る流れだったのですが…。
こんなこと起きると思っていなかったから、ガソリンがほとんどない。

給油しようにも、当時はガソリンすらも届くのに時間がかかり、届いたら届いたでガソリンスタンドには長蛇の列ができる状態でした。

そして僕らもその列に並び、3時間ほど並んだ末にガソリンを給油。
そのまま車で、新潟県へ戻りました。

新潟県内の店舗では、「震災の状況」について散々聞かれました。
揺れの勢いがどうだったとか、津波の勢いはどうだったとか、原発爆発したからお前は放射線浴びてきたのか?とか。

…ひどくないですか?

「うっせ!お前らも中越地震くらったの忘れたか!」

と一喝して回っていましたが、4月になり、働いていたパチンコ店が再度オープンすることになりました。そして、そのタイミングで僕も福島県に戻ることになりました。

その後、僕は2013年までその街で働いていましたが、もうすっかり震災前と同じぐらいの活気を取り戻していたと思います。ハワイアンズも復活しましたし。

東日本大震災を忘れない

というように、震災当時のことを思い浮かべれば当時の情景がまざまざと甦ります。
それだけインパクトのあった出来事でしたからね。

津波の被害が特にひどかった地域の一つでもあったので、震災直後に沿岸部を車で回ったときは、ちょっと直視できないような状況だったのも事実です。

その時、津波の「本当の怖さ」を初めて知った状態でした。

繰り返しになりますが、3月11日は東日本大震災が起きた日です。
特に被害が甚大だった東北地方出身の人間として、この出来事は一生忘れられないなと思います。

だからこそ、僕はもっと後悔しないように生きていこうと思いました。

後悔しない生き方をしよう

震災から5年が経ちます。
これを読んでいるみなさんは後悔しないように生きていますか?

人間、死ぬ時は本当にあっけないです。
それを教えてくれたのが、あの震災でした。

少なくとも僕は、あの東日本大震災以来自分がいつ死んでも悔いがないように生きていくために、日々行動しています。

みなさん、後悔しない生き方をしましょう。

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