30代メンヘラ無職のブログ

主に生活保護と七原くん(配信者)について書いています

生活保護を受ける前に自己破産をした時の話

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僕は作年、30歳の頃から生活保護を受けるようになった。原因は20代の頃に患ったうつ病のせいで仕事が全く続かなかったこと。その後、あちこちを転々としているうちに所持金が底をつき、支援団体に助けてもらって今に至るという流れがある。

31歳になり、改めて20代だった頃の10年間を振り返ってみると、自分でも笑ってしまうほどにクソみたいな人生を送っているなと思える。

まず20歳の新卒時代に入った会社。ここは地方のパチンコ屋だったのだが、今では問題になるぐらいパワハラ/セクハラ/アルハラなどのハラスメントが溢れている会社だった。そこでパワハラというか社内いじめのようなものに遭い、僕がうつ病を患うきっかけとなった。

非常にストレスが溜まる仕事だったためか、休日は朝から晩までパチンコ三昧。まあ、パチンコ屋で勤め始めた人間の大多数が一度はハマるものなので、ここは特に珍しくもない。しかし、当時の僕の月給は手取りで約12万円だった。残業を月40時間ぐらいして、やっと15万円に届くかどうかといったところだった。

世間的にパチンコ屋は他業種よりも給与が高いと思われがちだが、それに関しては本当にピンキリだと思うし、僕の手取り額がこの程度だったのは紛れもなく事実である。ただ、地方の専門学校を出た新卒が地方のたいして有名でもない会社に入れば、まあこんなもんかなと思っていたので、少ないとは思いながらもそこまで不満ではなかった。

しかし、手取り月給12〜15万円程度の男が、朝から晩までパチンコをする。当然生活に支障をきたさないはずがなかった。あっという間に生活費を借金で補うようになった。最初は1枚しか持っていなかったクレジットカードも、次第に2枚3枚と増えていった。サラ金にも手を出しそうになり、一度審査を申し込んだことがある。しかし、その時は否決になってしまった。今振り返ると、あれは否決されておいてよかったと思う。

同時に、僕は別の借金を背負うことにもなった。車の事故費用である。地方だったので通勤に自家用車は必須だったのだが、僕は恐ろしいほどに運転が下手だった。かつて助手席に乗せた後輩(男)に「こんな運転で女性を乗せたら、100%嫌われますよw」と言われたことがあるぐらいには下手クソだ。

車の運転が下手だということは、当然事故を起こす確率も高まる。約6年間ぐらい車に乗る生活をしていたが、そのうち物損事故が3回、僕が原因の人身事故を1回起こしている。もちろん保険には入っていたが、車の修理費などが都度20万円ぐらいかかっていて、それを支払うのも次第に困難になっていった。

生活は苦しくなっていくのに、やめることができないパチンコ。もちろん僕の意志の弱さが最大の原因だが、それをやめられる気は一向に起きなかった。そしてついに、僕は完全な崖っぷちに立たされる。車を持っていれば定期的に訪れる、車検。その費用を支払えなくなってしまったのだ。その時は約10万円ぐらいだったのだが、一括で支払うほどの所持金はない。借金を重ねすぎて、ローンも通らない。でも車がないと通勤ができない。

……完全に詰んだと思った僕は、実家へ連絡し、事実を洗いざらい親へ報告をした。そしてなんとか、車検費用代は払ってもらうことができた。それと同時に、この生活への限界を感じて「もう、債務整理するしかない」と考えるようになった。ちなみにその時の借金は、300万円ほどにまで膨れ上がっており、月々の返済額は10万円を超えていた。手取り月給が12万円なのに、だ。

それから僕は、当時仕事のために住んでいた街の弁護士事務所を訪れ、債務整理の相談をした。弁護士の先生からの回答はあっさりしていて、一言「自己破産が一番いいと思うよ?」だった。

仮に債務整理をしても月12万円から300万円を返済していくには時間がかかりすぎるし、借りていた期間がそこまで長くはないため、過払い金もほとんど出てこないだろう。しかし年齢はまだ若い(当時25歳)ので、ここで自己破産してしまった方が後々楽になるのではないか、という見解だった。

その時の自分は、債務整理の知識もほとんどなく、冷静な判断も失っており、それに弁護士先生の言うことなんだから間違いはないだろうと思い、その場で自己破産について了承をした。そこからの流れとしては、弁護士事務所から債権者(お金を貸している側)へ「もう取り立てしないでね☆」という通知を送り、僕は破産のために必要な資料を集めていった。

書類については、役所に行けばすぐ取り寄せられるものから、会社から取り寄せないといけない書類もいくつかあった。なので「なんでそんな書類が必要なの?」と上司から問い詰められた時は、ごまかすのに苦労した。まあ、最終的にはごまかしきれなくなって店長だけには本当の事を言い、店長はさすがに驚いていた。

手続き開始から破産宣告を裁判所に立てるまでは、結構な時間がかかった。最初は1年ぐらいの予定だったが、途中で3.11の震災が発生した。その影響で僕の勤務する場所も変更になり、結局弁護士事務所も変更をしたので余計に時間がかかり、結局2年ぐらいをかけて破産宣告をすることになった。

ちなみに個人の自己破産の場合には種類が2つあり、僕のように資産が全くない人の場合は、破産宣告と免責(債務支払いの責任がなくなること)が同時に行われる「同時廃止」と呼ばれる方法によって決着させる。これは破産の宣告と支払責任の免除を同時に行うため、裁判所に行く回数は原則一度のみでいい。

しかし、資産をある程度持っている人の場合は「管財人」と呼ばれる、債務者の資産を調査し、集め、債権者へ分配する人が間に入る「管財事件」というものになる。この場合は破産宣告から決着までが長くなるし、提出する書類や裁判所へ行く回数も増えるらしい。会社を潰してしまった経営者とかでなければ、大抵は同時廃止になるらしいが、担当した弁護士によって判断は変わるだろう。

★参考記事:自己破産における管財事件と同時廃止事件とは? | 債務整理・過払い金ネット相談室

結局、僕が裁判所へ出頭(?)したのは2012年の4月だった。桜が満開だった中を、ナーバスな気分で向かったのをよく覚えている。そして裁判所の中の小部屋へ通されると、僕の他に何人もの同じような破産者がおり、後ろの方には僕の手続きを担当してくれた方を含めた弁護士の方々がずらっと並んで座っており、一番前にはまるで面接官のように裁判所の担当者が座っていた。

そこでの話は「これを持って、同時廃止は認められ、皆さんの借金は免除になります。どうかこれまでの教訓を生かして、今後の人生を過ごしていってください」みたいな感じのことを言われたと思う。とにかく緊張していたせいで、よく覚えていないが……。

もちろん、再度自己破産をするつもりは全くないが、同じ人が二度自己破産をしようとすると、二度目はかなり厳しく追及されるらしい。それだけ、自己破産というのは特に債権者に迷惑をかけるということなのだろう。僕自身、ギャンブルにはまった経験なども振り返ると、かなりお金にルーズな人間なのだと思う。今後、もう持てないとは思うが、クレジットカードを持つのは限りなく控え、デビットカードぐらいにしておこう。

そんな他人が普通はしない経験を経たものの、6年後の現在に僕は再び社会の底辺に落ちてしまっている。数ヶ月前に這い上がろうと少し踏ん張ったが、結局できなかった。30歳を過ぎ、精神疾患を持ち続け、お金をも裏切った自分は、もうこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。今はまだ、分からない。ただ、20代の失敗を反面教師として、これから何とか活かしながら生きていこうと思う。

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