生活保護から抜け出したい

こんなブログで月5万円ぐらい稼いでいるメンヘラ無職。2017年4月から生活保護受給中。

生活保護を受けると決めた時点で、家族とは音信不通にした

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僕は2017年の4月から生活保護を受けているが、その時期から家族とは一切の連絡を断ち切っている。電話は家族や親戚らすべてを着信拒否にしているし、LINEはそもそも使っていないのでスマホにインストールすらしていない。

幸いなことに、うちの家族はツイッターやフェイスブックのようなものは利用していないようだ。昔からそうだが、僕以外全員ネットに疎いどころか未だにネット=怪しい世界と思っているような古い人間ばかりなので、ここは古くてむしろ助かったと思っている。

作年の年末に兄と妹に子どもが産まれ、そのぐらいの頃から「もう自分のいる場所は実家にはないかな……」と思い始めていた。そして偶然にも野宿一歩手前の状態になり、支援団体に助けてもらい、生活保護を受けることになった。

生活保護に関して多少なり知識がある人なら知っていると思うが、生活保護というのは原則として「扶養照会」というものを行う。扶養照会というのは、申請者の親族(基本的には親兄弟までだが、最大3親等にまで行う場合もある)に「申請者を養うことはできませんか?」と役所からお伺いの連絡をすることだ。

これに対して全員が「扶養できません」と回答するか、無回答が一定期間続くと、申請者は保護を受けることができるようになる。ちなみに虐待やDVをされている人には、その照会がない場合もある。居場所を知られたらマズイからだ。「原則として」と書いたのはそのためである。

実は僕の場合は、この扶養照会を免除してもらっている。親兄弟からはっきりと虐待を受けたことはないが、免除してもらった。その理由は、仮に扶養照会が行った場合、うちの親だったらきっと「扶養します」と回答するだろう。それで役所から「扶養してもらえると回答が来たから、親元に戻りなさい」と言われたとする。

しかし、戻った先で待っているのは「さっさと次を見つけて働け、甘えるな」とグチグチ言われる日々なのは分かりきっている。自分の親がどんな行動を取るかぐらい、簡単に分かる。僕は2013年5月に、それまで6年間勤めていた会社を辞めた。うつ病になったせいで働けなくなったのだ。

それで親に事情を説明し、5月〜6月まで実家にいた。その時でさえ、一週間も経たずに「さっさと次を見つけて働け」という言葉ばかりかけられた。唯一、妹の旦那さんが少し理解をしてくれたが、親の反応は何も変わらなかった。それに嫌気がさしたのもあって、6月に逃げるように東京へ出てきた。

扶養照会をしても、そうなる末路は目に見えており、僕のうつ病の回復はほど遠くなるだろう。そう思った僕は、現在も通っている精神科の先生に「扶養照会は控えてください」という文言を添えてもらった意見書というものを作成してもらった。それを保護申請時に提出したことによって、扶養照会は行われないまま、僕の保護は決定した。

思い返してみれば、虐待のようなことは無かったものの、僕は常に「疎ましい存在」として扱われていたのを思い出す。

例えば、うちは父が婿養子なので、母方の実家が「僕の家」となる。しかも母親は5人姉妹の長女だった。つまりは跡取り娘だったわけだ。お盆や正月は母の実家に帰省するものの、そこはかなり雪深い田舎だ。いわゆる「豪雪地帯」と言われる場所で、3mを超える積雪なんてのも珍しくなかった。

僕には兄と妹がいる3兄妹なのだが、兄と妹はアクティブでよく外で遊んでいた。顔も母親に似ていて、スタイルもいわゆる「太らない体質」で常に痩せていた。特に兄とは1歳違いで学校もかぶることが多く、とにかくよくモテていた。妹とは3歳違いなので学校はかぶらなかったが、こっちもパートナーには事欠かないような感じだった。

また、母方の祖父は自分の子が女子しかいなかったためか、初孫にどうしても長男が欲しかったそうだ。そこでまず長男として産まれたのが兄だった。それはそれは溺愛していたという。また、母方の祖母は女子の孫が欲しかったらしく、そこに長女として産まれた妹をそれはそれは可愛がっていた。

その2人に対して僕はというと、顔は父親似で立場は次男と微妙。容姿もすぐ太りやすい体質の、デブでメガネで天パだった。また、僕は外で遊ぶよりも家の中でゲームや漫画(読書も好きだったけど)を読むのが好きな性格で、外で元気に遊ぶ兄や妹とは小さな頃はいつも比較され、2人を見習えと言われていた。親としては「子どもは風の子」が理想の姿だったのだろう。

前述した母の実家はド田舎だったので、自然はとても豊かだった。しかし、僕は外で遊ぶのもそこそこに、ひたすら部屋の中で家から持ってきたゲームボーイで遊んだり、同じく持ってきた漫画を読んで過ごすことが多かった。すると大人たちからは「室内にばかりいないで、外で遊びなさい!」と幾度となくに叱られていた。小さい頃の僕は、なぜ部屋の中で遊んでいてはならないのか、不思議で仕方がなかった。

そういった性格が、大人たちに「子どもらしくない、疎ましい」と思わせたのか。特に祖母からは極端な「依怙贔屓(えこひいき)」をされるようになった。例えば、兄や妹にあげたお菓子を僕だけ貰えなかったり。妹が1時間も2時間もテレビを観た後、ようやく僕が観れる番が来たと思ったら、5分も経たずに強制的に電源を切られたり。本来は兄→僕→妹の順番に金額が下がるであろうお年玉も、兄→妹→僕の順番だったり。

今思い返すと些細なことだなーと思うが、小さい頃は「なんで自分ばっかり」という気持ちが残り、時には悔し涙を流すこともよくあった。しかし、親も僕の味方はせず、祖母や兄妹の味方に回っていた。実際に虐待された経験のある人には「そんなことで?」と思うかもしれないが、こんな程度でも、実際にやられた側のヘイトはかなりのものだった。心が狭いのかもしれないが、この時の悔しさや憎しみは未だ思い出す度にフツフツと腸を煮えくり返らせるには十分なものである。

ちなみに現在、祖母は足を悪くしてどこか山奥の老人ホームに入っているという。最初は僕の実家に両親と同居していたが老化による幼児退行によってワガママが増え、さじを投げた両親によって老人ホームに入れられたようだ。はっきり言って同情するつもりは1ミリもなく、ざまあみろ、どうか外には出てこず、そこでひっそりと生涯を終えてしまってください。という気持ちにしかならない。

逆に、父方の祖父母は父によく似ている僕をよくかわいがってくれた。母方の家と違って父方の家には感謝しかないのだが、その祖父母は両方とも高齢のために亡くなってしまい、会うことはもうできない。つまり、今の僕には帰りたい家も会いたい人もいないのである。ただ一応、兄と妹の結婚式には出席した。僕以外の兄妹のハレの舞台を見れたからこそ、もう思い残すことはないなと思えている。

そこに来て今回の生活保護。もちろん、受ける原因は僕にある。しかし、これについて親と話をすればどうせ「戻ってこい」と言われるに違いない。正直に言って冗談じゃない。親は子をコントロールできると思っているのか知らないが、お前らにはヘイトしかないのだから。もう関わりたくないと思い、ずっと連絡を取っていない。

兄は自衛官として長年勤め、奥さんも子どももいる。妹も専業主婦として旦那さんと子どももいる。どちらも、日本の一般的な家族が見る「幸せな家庭」なのだろう。だから、もういいじゃないか。子ども2人の結婚式に出席できて、孫の顔も見れた。もう十分だろう?後は僕の知らないところで、安らかな最期を迎えてくれないか。

こっちはこっちで上手くやっていきますから。僕を助けてくれた支援団体の方々と、血の繋がりはないけど最高の「家族のようなコミュニティ」が形成できている段階なんだ、どうか邪魔をしないでくれないか。マイノリティにはマイノリティの生きる道がある。血が繋がっているというだけで生き方の幅を狭め、それを理想の生き方だと信じて疑わない。そういう人に縛られていると、本当に今度こそ自殺してしまいそうだ。

だから、僕はもう自分を遮る者と付き合うのはやめた。僕にとってその最たるものが家族だ。たかがたまたま血が繋がっている「だけ」の、時代遅れな考え方しかできない、分かったフリをして何も分かっちゃいない存在に足を取られ、生き方に悩み、精神を病んでしまう必要性は、まるでないはずなのだ。

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