30代メンヘラ無職のブログ

主に生活保護と七原くん(配信者)について書いています

生活保護を叩く人の大半が貧困層。弱者同士で足を引っ張っても良いことは何もない。

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僕はインターネット依存症なので、ヒマさえあればネットサーフィンをしていたりツイッターのタイムラインを眺めている。生活保護の当事者ということもあって、支援団体関係のアカウントも多くフォローしているが、そういうアカウントは度々「弱者叩き」と取れるようなバッシングを浴びさせられている。

特によくあるのが「自己責任論」だ。貧困なのは自己責任だ。今まで努力してこなかったツケが回ってきたんだろ。そんなヤツに生活保護なんてやるな。働かざる者食うべからずに則り、自力で稼げない人間は餓死すべきだ。……というような、耳を覆いたくなるような罵詈雑言を眺めることがある。

ただ、支援団体の方々というのは専門家でもあるので、そういった罵詈雑言に対して負けるような人たちではない。しっかりとロジカルに返している人も中にはいて、さすがの知識、素晴らしいなと思うこともある。

こうした支援団体の方々へ心ないバッシングを浴びせるアカウントたちは、総じて卑怯者である。不勉強ゆえにネットの本当か嘘かあやふやな情報を信じ、間違っていることをさも正しいかのように主張する。もっと勉強してから出直してこい!と言いたい。

しかし、こうした卑怯なアカウントたちを覗いていくと、彼ら彼女らもまた被害者であることが伺える。何の被害者か?というと、生活に困窮しているという意味での被害者なのだと思っている。

以前、生活保護バッシングを繰り返しているとあるツイッターアカウントを掘り下げていったところ、その人のタイムラインには「親の介護で疲れた」「介護をしないといけないので収入が安定しない」「なんで家にはお金がないんだ」「いっそのこと親死んでくれないかな」というようなニュアンスのつぶやきが並べられており、怒りよりも同情が沸いてしまった。

また、どこの誰とは言わないが、以前はてなブログ内で生活保護や障害者年金を貰っている人を執拗に叩く記事を量産しているブロガーもいた。しかし、その人のブログ記事を追っていくと、生活費が苦しいという記事や、借金に関する記事も多くあり、その人自身も貧困に苦しんでいる様子がうかがえた。

生活保護から考える (岩波新書)

生活保護から考える (岩波新書)

 

僕を路上生活一歩手前から助けてくれて、なおかつ生活保護にまで繋いでくれた支援団体「つくろい東京ファンド」。そこの代表理事である稲葉剛さんの著書「生活保護から考える」に、このような記述がある。以下、引用させていただく。

シベリア抑留を経験した詩人、石原吉郎はシベリアの強制収容所(ラーゲリ)の中で日本人たちが鋼索を研いで針を作り、それを密売してパンと交換していたことを記録しています。しかし、針の密売が広がるにつれて、内部から ソ連側への密告が相次いだと言います。

石原は「弱者の正義」という文章の中で以下のように指摘します。

「針一本にかかる生存の有利、不利に対する囚人の直観はおそろしいまでに正確である。彼は自分の不利をかこつ(嘆く)よりも、躊躇なく隣人の優位の告発を選ぶ。それは、自分の生きのびる条件をいささかも変えることがないにせよ、隣人があきらかに有利な条件を手にすることを、彼はゆるせないのである」

(中略)

今の日本社会でもこうした「弱者の正義」が広がっているのではないでしょうか。

自分たちを取り巻く社会環境を主体的に変えることは不可能だ、と感じる人が多数を占めれば、その社会は「人間不信の体系」となり、「隣人の優位の告発を選ぶ」人々が増えるのではないかと私は考えます。そして、隣人が実際に「有利な条件」を手にしているかどうかに関係なく、「優位」に見える人々は正義の名の下に攻撃されるのです。

現在の生活保護バッシングは、まさにこの様子と酷似していると思う。かつて聞いたことがある話では、各自治体の役所には頻繁に「◯◯町のあいつは不正受給をしているから保護を打ち切れ!」という内容の電話が入ってくるという。しかし、職員が内容を細かく聞こうとしてもそれ以上は話ができないか、すぐ切られる。なぜなら、電話の主は完全に憶測で物を言っているだけの可能性が高いからである。

逆に「あそこの家の人はかなり生活が苦しいようだが、保護は受けているのか。役所はちゃんと見ているのか?」というような内容の電話は、まずかかってこないという。これも上に引用したシベリア抑留の状況と同じと言えるのではないだろうか。

そうした弱者が弱者を叩いているシーンを見ている時、僕はいつも思うことがある。それは「そんなに生活が苦しいのなら、あなたも生活保護を申請すればいいのに……」という思いである。生活保護は仮に仕事をしていたとしても、国が定める最低生活水準以下の収入の場合は受けることができる制度である。

★関連記事:生活保護の申請時、こう言われたらこう切り返せ! - 生活保護から抜け出したい

しかし、ネット上の生活保護バッシングに必ずと言っていいほどよく書かれているコメントとして、「自分は保護を受けるぐらいなら餓死する」とか「保護なんて世間体が悪くて恥」というような内容が書かれている。まあ、そこまで世間体を優先して死を選ぶのもその人の決断だから別に構わないが、ならばわざわざ保護を受けている社会的弱者の人々を叩くような真似をするなと言いたい。

日本国憲法には、第25条に「生存権」という権利が規定されている。

日本国憲法第25条:生存権

①:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

②:国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 

ここに書かれている「健康で文化的な最低限度の生活」を送るためのセーフティーネットが、生活保護である。 日本国民であればそうした生活を営む権利は誰しもある。そうやって国が規定している権利を叩くということは、それは社会的弱者を差別すること以外の何者でもない。

繰り返しになるが、生活に困窮しているが生活保護をどうしても受けたくない。それこそ死んでも受けたくないのであれば、受けなければいいと思う。なぜなら、受けないという選択も一つの「権利」だと思うからだ。もちろん困窮している人は生活保護を受けるのが最善の策だし、できるならそうしてほしいとは思うが。

しかし、他人が受けようとするのを叩くとか、根拠もなしに不正受給だとか、甘えているとか言うのは完全に間違っているのでやめてほしい。日本はただでさえ生活保護の捕捉率(保護を受けるべき人のうちどのぐらいの人が実際に保護されているかの割合)は他の先進国に比べて抜群に低いのだから。

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