30代メンヘラ無職のブログ

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生活保護を堂々と受給できる国にしていきたい


生活保護の申請を必死に防ごうとし、社会的弱者とセーフティーネットが繋がらないように尽力してきたクソみたいな行政とお役人たち。

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かつて役所では、このように生活保護を申請する窓口についたてをし、申請を断るどころか窓口にすら来させないようにしていたところもあった(画像は2014年の鎌倉市のもの)。

そういった行政に対して、少しでも多くの生活困窮者をセーフティーネットに繋げようと努力しているNPO法人や支援団体。

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これは都内で生活困窮者の相談に乗り、場合によっては生活保護の申請同行なども行っている「もやい」というNPO法人。恐らく、都内では一番有名な支援団体だろう。

江戸川橋駅の近くにあるもやいの事務所へ行けば、こうした保護の申請に必要な書類一式が

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このように、誰でも手に取れるようになっている。必死に生活困窮者を排除しようとしてきた役所とはエラい違いだ。

ちなみにもやいは、火曜日が相談日でこの記事を書いている土曜日にはサロンといった、誰でも参加できる集いの場を提供している。上の画像にある書類一式というのは、僕がそのサロンに参加した際に貰ってきたものだ。

こういうのを見ていると、果たして「正義」とは何なのか分からなくなってくる。自分自身が生活保護を受けるようになるまで、こうした問題にはあまり関心がなかった。 それでも、盲目的かもしれないが「役所は一般市民のために設置してある場所」と思っていた。

生活保護を受けている人々も、立派な市民であり、国民である。事情があって働けず、やむなく生活保護を受けている人もいるだろう。また、現在進行系で生活に困り、できるなら生活保護を受けたいと思っている人だっているだろう。

そうした市民たちを助けるのが行政の仕事だとずっと思ってきたのだが……。正直、冒頭にリンクを貼った鎌倉市の例を見た時は、にわかには信じられなかった。

言葉で追い返して申請させない、いわゆる「水際作戦」は、逆にこちらにもロジックがあれば、相手の言葉を理論的に跳ね返し、申請にまで持っていくことができるかもしれない。しかし、ああやって物理的に入れないようにしていては、どうしようもない。

もちろん、そのように申請できなくするのも言語道断だが、最近はそうしない代わりに警察官OBを窓口に配置しておき、窓口に来た人へ間接的(場合によっては直接的)な威圧感を与える方法をとっている、ひどい自治体もある。

それについて書いたのが、この記事である。

実際、僕が保護を受けている自治体の生活援護課(生活保護に関連する手続きを行う部署)には、どの時間帯に行っても警察官OBの暴力団も顔負けするぐらいの、厳つい職員が仁王立ちしているのだ。

「さすが元警察官、堂々とした立ち居振る舞いですなぁ……。」などと関心している場合ではない。その職員がいるせいで、申請もできずに諦めたり、又は追い返された人もいるはずなのだから。

ちなみに僕が行った時にも「あなた、今日は何しに来たの!?」と軽く威圧的な対応をされた。しかし、支援団体のスタッフの方々が同行してくれていたおかげで申請をすることができた。これがもし一人で行っていたら、きっと申請できなかっただろう。

先日に書いたこちらの片山さつき議員の記事でも触れたが、日本の政治家(特にひどいのが自民党)たちは、この片山議員をはじめとしてどうにか「生活保護=害、悪、恥」というイメージを国民全体に刷り込みたいようだ。

上の記事には、片山議員が「生活保護は生きるか死ぬかが貰うもの」と言っている時の画像を貼ってある。しかしそれとは別に、実は片山議員は「日本国民が"生活保護を貰うことは恥だ"と思わなくなったことが問題だ」というニュアンスの発言もしていたことがある(画像は見つからなかった)。

そうした言動に表れているように、日本において生活保護というのはどうしても「悪いもの、恥ずかしいもの」として扱われがちである。「生活保護を貰うなんて世間体が悪くて近所に顔向けできない」というようなセリフを、インターネット上でも実生活でもいいが目にしたことはないだろうか。

日本では生活に困窮した際に「生活保護を受けよう」という発想を描く人は、非常に少ないという。ではどうするのか? 実際には、大多数の人が「借金をして一時的にでも生活をしのごう」と考えてしまうそうだ。

ただでさえ困窮しているはずにも関わらず、借金をしてしまったらその先はどうなってしまうのか? 結末は誰にでも分かる。本来はそのような事態を防ぐためのセーフティーネットであるはずなのだが、日本ではその発想に行き着く人が少ない。

かつて僕が中学生ぐらいの頃、社会科の先生が「日本人にとって労働はご褒美、欧米人にとって労働はキリストから与えられた罰」と言っていたのを、ふと思い出した。あの頃は「へーそうなんだ、よく知らんけど。」ぐらいに考えていたが、大人になって思うのは、実際に日本人の労働を美徳する観念は、はっきり言って「異常」だということ。

汗をかいてあくせく働く。これを否定するつもりはないが、逆にそれをしない人間を白い目で見て、徹底的に排除しようと動く。「納税」や「勤労」といった義務を振りかざし、異端児は徹底的に叩く。

そういった様を見ていると、まるで「ここは本当に先進国なのか?」と思えてくるのは自分だけだろうか。「生活保護を受けるのは恥ずかしいこと」と思っている人が多いのも、もしかしたらそうした労働への価値観から来ているのではないだろうか。

生活保護を受けている人やニートなどの無収入者へ向けて「働かざる者食うべからずだぞ!」というような人がよくいる。うちの親もそういう人間だった。しかし、この言葉は元々聖書に書かれているものらしい。

……普段はキリスト教なんざ1ミリも信仰していないくせに、人を叩く時にだけ都合のいい引用してんじゃねぇよと思う。そういうのを「卑怯」と言うのではないか。

という感じのことを今日、もやいのサロンでボンヤリと考えていたところ、

感極まり、このようなツイートをしてしまった。

建前では「世の中カネじゃない!」と言いながら、日本人の大多数がやっていることは一体何なのか。本音ではお前らカネが大好きでしょうがないんだろ? だから生活保護受給者を「楽している」とか「甘えている」とか言って叩くんだろ? 本当にこの日本という国はクソみたいだ。

人間にとって最も大事なことは、死なないことだ。仕事のために生きるのではない。生きるために働くのだ。生きることが一番大事だ。だからどうしても働けない事情がある人は堂々と生活保護を受ければいいし、もし使えるのならば、それ以外のセーフティーネットにも頼るべきだ。

そういう、社会的弱者が堂々とセーフティーネットに頼れる。そんな世の中にしていきたいと強く願う。

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