30代メンヘラ無職のブログ

ブログで家賃代を稼ぐ無職。生活保護、派遣労働、七原くんの記事がメインです。


「人生は紙一重」という言葉は真理である


普段お世話になっている「つくろい東京ファンド」という支援団体が運営している「カフェ潮の路(みち)」というカフェが練馬区にある。毎週火曜日と木曜日にランチ営業をしているため、今日もそこへ行ってきた。

そしてそのカフェで老若男女、様々な方と会話をしていくうちに「人生というのはいつどこでどうなるか分からない、まさに"紙一重"だよなぁ……」と改めて感じた。

以前、ワードプレスで運営している別ブログにも書いたことがあるのだが、今回改めて実感したので改めてこっちのブログにも書いてみようと思う。

このカフェ潮の路には、過去に路上生活をしていた経験を持ち、その後支援団体に助けてもらった人が多く集まってくる。僕も昨年の3月に野宿寸前になっていたところを助けてもらって以来、家から近いこともあって気軽に通わせてもらっている。

まあ路上生活者になってしまった人というのは良くも悪くも世間と合わない方が多いのか、なかなか普通の人が経験しないような、パンチの効いた経験を持っている人が多い。ネトゲ廃人の経験を持つ人もいれば、懲役に行っていた人もいたりして。

ただ、そういう経験があるからと言って、別に他人と何か違うか?というと、そんなことは全くない。まあ、元ヤクザで背中に入れ墨が入っていたり、指が10本に満たない人はいるが、普通に接している分には何ら世間一般の人と変わりない。むしろ、80歳近くなのに背筋もシャキッとしていて、一般人よりも健康で元気なご老人もいる。

また、僕は定期的に「ビッグイシュー」という雑誌を購入する。ちなみに毎月1日と15日の月2回発売である。

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こういった表紙の雑誌であり通販で購入することもできるのだが、東京や大阪に住んでいる人の場合は、路上や駅前にて赤い帽子と赤いベストを着たおじさんが雑誌を持った手を掲げながら売っている光景を見たことがあるのではないだろうか。

そんなビッグイシューを売っているのは、現役のホームレスや元ホームレスだった人たちだ。ホームレスという言葉を聞くと、大抵はイメージとして「汚い」とか「臭い」というようなものがつきまといがちだが、ビッグイシューの販売者たちは違う。みんな、清潔感がある身なりをしているし、接客態度も丁寧の一言に尽きる。

ちなみに僕は、東京の中野駅前でよく購入する。そこの販売者さんがまた感じの良い人で、特別な事情がない限りはなるべくそこで購入するようにしている。もはや最近では、雑誌の内容というよりもその販売者さんから買うのを目的にしている部分が大きいぐらいだ(笑)。

こうした僕のように「固定の売り場の販売者さんから買う」という人は、意外と多いらしい。先ほどカフェにて、かつて新宿駅西口で販売をしていた経験のある方と話をしてきたが、販売者さんご指名で購入するお客さんもいると言っていた。

いつも中野駅前で販売している方もそうだし、カフェで話をした元販売者さんもそうなのだが、本当に一見して「路上生活やってました」と言われても、にわかには信じられないぐらい、世間一般の人々と立ち居振る舞いは変わらない。

となると、何が人を転落させるのか。日本では「貧困は自己責任」という論調が強い風潮があるが、果たして本当にそうなのだろうか。カフェに来店される元路上生活者の方々と話をしていると、決してそんな事は無いのではないか。と考えさせられる。

もちろん、100%ではないにしろ、ある程度の「つまづき」を本人の注意や判断で防げる部分はあったかもしれない。しかし、生まれた環境だとか、景気の傾きだとか、本人の意志ではどうにもできない部分もある。

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

 

以前読んだこの本に、世の中の仕組みを「イス取りゲーム」に例えている描写がある。みんなが知っているように、イス取りゲームとは参加人数より少ないイスを参加者全員で取り合い、最後の1つを取った人が勝者となるゲームだ。

イスも参加者もどんどん数が絞り込まれていくが、変わらないのは「参加者よりイスの方が少ない」ということ。つまり、どれだけ猛烈な努力をしても「座れない」人というのは必ず出てきてしまう。イスの数は本人の努力ではどうにもできないからだ。

普段から「自己責任論」を唱えている人に聞いてみたいが、もしも自分以外の参加者が全員、運悪くボブ・サップ選手のような筋肉の塊で、どうやっても勝てそうにない状況だとする。そんな状況でも「お前がボブ・サップに勝てないのは努力してこなかったからだ!役立たずは死ね!」と言われて、果たして素直に受け入れられるのだろうか。

ボブ・サップ選手というのはあくまで例えだが、世の中にはそのようにやむを得ない理由で転落してしまった人が、実は多くいる。そこで「お前が脱落したのはお前が努力しなかったからだ」と自己責任論で責め立てるのと「イスを増やして全員が座れるようにしよう」という構造的な解決策を見出すのとでは、どちらがより建設的だろうか。

ツイッターでは、山奥ニートの葉梨はじめさんがこんないい事をつぶやいていた。あえてイスの奪い合いに参加しない人がいて、しかも認められる。そんな多様性のある世の中になると今まで以上に生きやすくなる、というのもまた大事なことだ。というような議論をもっと増やしていかなければ、日本は弱者にとっても豊かな国にはまだまだ程遠いだろう。

はっきり言って、現在転落していない人というのは、今はまだ・運良く・かろうじて・転落していないだけに過ぎない。「人生は紙一重」と同様に「明日は我が身」という言葉もまた真理だと思うし、誰にとっても人生はトゥモロー・ネバー・ノウズである。

これまで接してきた貧困層や社会的弱者の人々が、僕自身や世間一般に当たり前のように溶け込んで生きている人々と何ら変わらない人間である。それでも路上のホームレスに転落してしまう可能性がある。その事実を知ってから、表題の「人生は紙一重」という言葉もまた真理であると悟った。人生は続く。

紙一重が人生の勝敗を分ける

紙一重が人生の勝敗を分ける

 
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